東京都優秀技能者 東京都認定・東京マイスター
伝統工芸彫金家・ジュエリー作家
山森彫金塾 塾長
本名 山森利康
| 《ジュエリーコンテスト等の受賞歴》 | ||
| 昭和53年 | ダイヤモンド・デザイン・コンテスト 主催 ダイヤモンド・インフォメーション・センター C部門 1位 |
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| 昭和55年10月1日 | 第5回プラチナ・デザイン・コンテスト 主催 プラチナ・ギルド・インターナショナル B部門 佳作 |
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| 昭和57年10月7日 | 第7回プラチナ・デザイン・コンテスト 主催 プラチナギルド・インターナショナル C部門−2 プラチナ・ギルド賞 |
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| (上記のコンテスト受賞以外多数の入賞あり) | ||
| 文化組合創作展(JJCコンテスト) | ||
| 平成7年5月16日 | 第1回 | 第TA部 銀賞 k18 ダイヤリング 第TB部 銅賞 k18 トパーズリング |
| 平成8年5月14日 | 第2回 | 第UB部 銀賞 k18・Pt ペンダント |
| 平成9年5月18日 | 第3回 | 第TA部 銀賞 第TB部 金賞 第UC部 金賞 |
| 文化組合JJC創作コンテスト関係 | ||
| 平成10年8月 第4回JJC創作コンテスト | ||
| 東京都中小企業団体中央会 会長賞 文化組合特別奨励賞 |
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| 平成11年5月18日 第4回JJC創作展(人気コンテスト) | ||
| 指輪部門賞 | ||
| 平成11年10月13日 第5回JJC創作コンテスト | ||
| 第2部門 東京美装商工業協同組合理事長賞 | ||
| 平成12年2月5日 東京ジュエリーショウ 創作ジュエリーコンテスト | ||
| 2部門装身具 佳作 | ||
| 平成12年10月11日 第6回JJC創作コンテスト | ||
| 第T部門 台東区長賞 第U部門 台東区長賞 |
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| 平成14年10月11日 第8回JJC創作コンテスト | ||
| 特別奨励賞 | ||
| 以上 | ||
《以下は塾長自ら綴る彫金歴です》
1948年富山県富山市呉羽にて生まれる
子供の頃は教育に不熱心な両親の男6人兄弟の4男として育ち、勉強もせず野山を駆け巡り野生のような子供時代を送った。
父は大正5年生まれ、貧乏百姓の子沢山12人兄弟の5男として生まれ尋常小学校を出ると大阪の名匠と言われた伝統工芸彫金家の駒井海道の門下生として弟子入りした。
父はとても手先が器用で直ぐに頭角を表わし、当時の帝展に入選して周囲を驚かせていた。
昭和10年に現代彫金を研究のため東京の現代彫金の大家山田勝康師に師事を受け、12年に戦争のため応召され8年間軍隊生活を送った。
昭和20年帰還し疎開先の生家近くで輸出工芸品の呉羽工芸社を設立、すごく儲かり広い仕事場と従業員宿舎が付いた自宅を手に入れた、その頃に塾長が生まれた。が、経理担当の従兄弟に大金を持ち去られ和えなく倒産してしまった。
翌26年失意のなか弟子を数人引き連れて上京し、貴金属製品を扱う山森彫金工芸社を設立、技術の良さが評判になり東京中から仕事が舞い込んできた。金回りが良くなると、夕方から依頼先の飾職親方たちと毎晩のように寿司屋だ河豚屋やれキャバレーと付き合いの休まる事がなかった。
付き合いが広がるなか山森旅行会を作り、熱海、箱根へと東京の錚々足る親方達が集まる大宴会を繰り返した。そんな折昭和31年同士と貴金属文化技術研究会を結成して父は初代会長となった。昭和34年同会を発展的解散し、続いて通産省認可・日本貴金属文化工芸品協同組合の理事長になった。
組合活動を続けると共に、会社も少しずつ大きくなり、彫金見習として全国から北は秋田、南は沖縄と一時は30人ほどの従業員がいる職人集団となった。
塾長も師である父からあらゆる彫金技術を厳しく指導され、父の後継者として期待されていた。
しかし、世の中そんなに甘くはない。宝飾業界にキャスト技法が取入れられ、量産時代への幕開けとなり父も空枠生産にいち早く乗り出した、3、4年注文が多く生産が間に合わない状況で今で言うアウトソーシングでなんとかこなしていた、外注先も父からの注文のおかげで会社が大きくなっていった。そんな折、納入先の日本宝石、河合宝石、多摩宝石が不渡手形を出し相次いで倒産していった。父、人生2度目の倒産か?
父の番頭をしていた営業部長は責任を取る形で早々父の元を去り会社を起こし、その後或る組合の理事長を永く務めその非凡さを発揮した。
父の会社は今回事情は違っていた、何故なら男6人の子供が成長し26歳を頭に4人が父の会社にいた、その4人兄弟が寝ることも惜しまず働き、10年掛かる借金の返済を4年で返し終えたのだ、(塾長が都立上野高校を卒業間近で辞め1日4時間睡眠で借金返済のため働いていた)父の窮地を救ったのは子供たちだった。
借金を返し終えた父は会社を引退、次兄が社長となった、2人の兄達も独立、その後塾長も次兄の会社を去り独立をした。
1972年4月 山森キャスト工芸を設立
1973年1月 有限会社日本ジュエリークラフト設立
   東京都台東区東上野に本社移転
1974年 工場拡大の為川口市に移転
1996年〜1997年 東京都立品川職業訓練校 講師
その他は会社経歴書を参考にして下さい。